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「おなかのヘドロ(宿便)は女性の大敵」
理学博士
 岡部 薫  著
宿便のことが全部わかる・カラダの仕組みをチェック

第2章イオンは皮膚からも吸収される

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お風呂は一番湯よりも女性の後で


こうしたバカバカしい失敗にもかかわらず、私のイオンに対する願望はふくらむばかりです。

ここでちょっと、家庭のお風呂について考えてみたいと思います。イオンに深い関係があるからです。私たち日本人は、風呂好きな国民としてしられています。お風呂に入るということは、もちろん皮膚の汚れを洗い流して清潔にします。血行をよくし、不良体液を外に排出し、心身の疲労を和らげてくれます。「1番湯に入るよりも、風呂は女性の後にはいれ」 とは、よく言われている言葉です。女性の入った後のお風呂は、女性ホルモンその他の有機物が分泌されており、お肌にとてもなめらかだからです。女性が入った後にかぎらず、垢や汗が混じっているお風呂のほうがよいのです。なぜかといいますと、1番湯は不純物がないため熱の伝導が速く、チリチリと肌を強く刺激するからです。そればかりではなく、からだの中のミネラルも塩分もたいがいに流れでてしまうのです。これはまことに由々しき問題です。

このように、お風呂は確かに皮膚の汚れをとり、血行をよくし、疲れをとってくれますが、イオンという点から考えますと、淡水のお風呂は好ましくないのです。淡水のお風呂に入りますと、私たちの体内にあるイオンが体外にでていってしまいます。イオンは水の中にあるものですが、体内にあるイオンと比較しますと、それはきわめて微量です。私たちの体内にあるイオンを100とするならば、淡水の中にあるイオンは1くらいです。

イギリスのドナンという科学者は、「イオンの膜平衡の法則」というものを唱えています。どういうようなことで、平衡化するかというと、 イオンは高い方から低い方へ移動する性質があります。だから、淡水のお風呂へ入りますと、体内のイオンがどんどん流出してしまうことになります。よく長湯をすると、湯疲れするといわれますが、これはほかでもなく、体内のイオンが流出するために起こる現象なのです。

こう考えていきますと、普通のお風呂よりも、シャワーのほうが健康によいといえましょう。シャワーなら、皮膚面の汚れを洗い落とすだけだからです。汗の成分である食塩は強電解質ですから湯の放射だけでも簡単に流れ落ちます。だからといって、私たち日本人はシャワーを浴びるだけではどうも満足しないようです。やはり湯船にどっぷりつかり、存分に手足を投げ出さなくては、気分がでません。

しかし、もっと理想をいうならば、そのお風呂の中で体内のイオンを流出せずに、逆にイオンを体内へ送り込んでやることはできないものでしょうか。実はそのよい方法があるのです。それは温泉です。


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別府温泉に導かれたわたし


ゼンソクにたけなわの頃、私は6錠が致死量といわれる塩酸エフェドリンを、10錠も飲まないと生きていられませんでした。昭和44年5月のある晩、私は国道2号線を西へと愛車のハンドルを握っておりました。助手席には妻がまどろんでおりました。山陰の浜坂(兵庫県)にある実家への帰りしな、私は家内を誘って山陰道へでたのです。戦時中、私は呉海兵団にいましたから、その町が懐かしく、家内にも呉の町を見せてやりたいと思ったからです。

この旅行では、行く先々の温泉に入りましたがホテルにはあまり泊まらず、車の中に寝るといった気ままな旅を続けていました。ちょうど夕暮れ時でした。呉の手前でドライブインへはいり、家内がコーヒーを飲みにいっている間、私はリクライニングシートを倒してちょっと横になりました。このとき、発作の予告がまたわっとやってきました。起きていると何ともないのです。私は発作がこわくて、ずっと眠らずにいたのです。

次は呉の町でしたが、何とか少しからだを休めないことには、どうしようもありません。発作が落ち着いてから呉の町を見て帰ろうと思い、そのまま国道2号線を突っ走りました。いくつかのドライブインがありました。ドライブインにはいって、今度は眠れるだろうと思って寝ると、わっと発作の予告がきます。どうしても寝かしてくれません。

エフェドリンを飲もうとしましたが、昨日からすでに限度を超えた10錠も飲んでおり、心臓の動悸もひどくて飲めません。いよいよ末期症状がきたなという気持ちでした。仕方がないので、ドライブインをでてまた走り続けました。

どこを通っていったかわかりません。目的地もありません。緊張のためでしょうか、ハンドルを握っていると発作がでてこないのです。おそらく幽鬼のような形相でハンドルを握っていたに違いありません。私は何時間も走り続けました。 道路が3つに分かれていても、その道のひとつを、オートコントロールのハンドルみたいに、自在にカーブを切っていきます。それに真夜中で、道を尋ねる人もおりません。もっとも目的がないのですから聞く必要もないのです。何時間か道なりに走りつづけました。

夜がまさに明けなんとする頃、ある土手の中腹に車をとめて外へでてみました。そこは山の斜面で下は深い谷間です。下のほうにアーク灯の光がいくつか見えました。それが朝もやに反射して、地底湖のように青く光っていました。発電所のような建物も見えました。 深呼吸をしながら、何とか寝かせてもらえないかなと考えておりました。頭にあるのはそればかりです。横になると、また思い出したように発作の予告がやってくるのです。仕方がなく、また車を走らせるしかありません。

夜が明けて朝になりました。ひょっと標識を見ると「別府温泉入口」と書いてあります。不思議な気がしました。九州大分県の別府だろうかと半信半疑でした。左には海が見えます。温泉の入口の門を通過してふっと右手をみると、山間に温泉の蒸気が立ち上っています。 「なるほど、温泉くさいな」 私はそこが、大分県の別府温泉であることを認めざるを得ませんでした。私はいつの間にか関門トンネルを抜けて、九州路を走っていたのです。

私はなおも道なりに走り続けました。キュウとハンドルがカーブを切りました。自分が運転しているのにハンドルの手ごたえはまったくありません。道なりにずっと右に曲がって、車がスッと止まりました。ひょっと見ると「銭湯」と書いてあります。呉から別府温泉の銭湯に、私は案内されたのでした。

時計を見ると7時、番台に主人らしい男がいて、いま開いたばかりということです。私は家内に車の鍵を渡して、ひょっとすると眠れるかもしれない、眠れたらそのままそっとしておいてほしい、と頼んで銭湯に入りました。

疲労が極限状態に達した私のからだにとって、そのときの温泉ほど爽快なことはありませんでした。疲れたときの温泉はいいものだと思いながら湯船からあがり、湯がザアザアこぼれているところで、ああ、眠いなあ、どうだろう、眠れるだろうか、しかし横になったらまた発作がやってくるだろう、などと考えておりました。

発作止めの薬は、もう限界の3〜4倍も服用してしまっている、これ以上飲めば心臓が破れてしまうだろう、眠ることのできない人間が何日、生きていられるだろうか、ついに終わりがくるのだ、間もなく発作がはじまり、息絶えるだろう・・・・・・。

しかし、私はもうからだを支えておれないほど疲れ切っており、くずれるように、湯の流れているところに腹ばいになりました。10秒20秒、死刑の実行を待っているような気持ちでした。しかし、発作はやってきません。客は私がひとりだけです。桶を枕にして仰向けになりました。何ともありません。そう思った瞬間から、私はどっと眠りに落ちてしまいました。

ひょっと眼がさめました。やっと少し眠れたな、何分寝ていたのだろうかと時計をみると、8時半です。何と1時間半も、そのまま死んだように寝ていたことがわかりました。 そのとき、温泉の湯が私のゼンソクに何かを訴えているような気がしたのです。なめてみると少し塩辛い味がしました。温泉というものは人体によいと言い伝えられていますが、それほど期待はしておりませんでした。すばらしいと身にしみて実感したのは、これがはじめてでした。

それにしても、私が別府温泉に導かれたのは不思議なことでした。ゼンソクに打ちされながら、何者かにリードされて、寝させてもらえないまま、別府温泉へと誘い込まれたとしか思われません。



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